理想郷がない中で、私たちにできること 「世界99」村田沙耶香

小説

世の中の悪いところを煮詰めたような小説だった。

村田沙耶香「世界99」の、人間への解像度の高さといったら、ない。特に本作は、女性が受けるすべての苦難を徹底的に描き切っている。

本作は、ある女性の一生を描いている。主人公の空子は、自身を「空っぽ人間」と評している。相手の反応を見て、相手が一番喜ぶ反応を返すことでコミュニケーションをとっているため「自分の考え」というものがないからだ。成長し、コミュニティーが増えるにつれ、関わる人間が増え、それに適応するべく自己の人格も増えていく。空子の中でそれぞれのコミュニティーを「世界①」「世界②」と分けていき、それぞれの世界に応じた自分を装っていく。

作中、これでもかというほど女性性に対する苦難が描かれる。妊娠出産を始めとし、家事、育児、性被害、貧困、加齢、いじめの被害及び加害。物語が進むにつれ、その苦難を引き受ける存在が現れる。「ピョコルン」だ。人々は「ピョコルン」に人生の面倒ごとをすべて押し付ける。ピョコルンは「人間の役に立つこと」に「幸福」を覚える生き物なのだ。

ピョコルンにすべてを押し付けられるようになった人間は、果たしてどうなっていくのだろうか。

異常な男性性が描き出すもの

本作では異様なまでに男性が暴力的に描かれている。

「いやいや、そこまで理性の伴わない人間はいないよ。みんなもうちょっとまともだよ」と思うのだが、その男性たちから身を守る空子たちの姿は、私たちの持つ「潜在化した恐怖」を呼び起こす。

エレベーターで男性と二人きりになった時の緊張感。人通りの多い道を選ぶ夜。年齢と見た目で価値を決められているような視線…

物心ついた時から、女性特有の数々の受難にあう空子たち。いつかの自分が感じた「ぞわり」とした恐怖が、作者による過剰な暴力表現によって、強調されている。

幻の理想郷 シスターフッドという幻想

最近、シスターフッドものの作品が増えた。

「アナと雪の女王」の大ヒットから、日本でも「ババヤガの夜」(王谷昌)がダガー賞を受賞。

最近読んだ作品でも「あいにくあんなのためじゃない」(柚木麻子)「燕は戻ってこない」(桐生夏生)など、女性性の受難に立ち向かうために同性同士が連帯感を育み、協力して生きていく物語が多い。その世界は男性が不要となる。

「世界99」も女性同士の生活が描かれているため「シスターフッドものなのか?」と読みながら思った。

空子が友人の娘・波を性被害から守ろうとする場面がある。

少しでも安全な場所へ、彼女を連れ去らなければならない。それは波ちゃんのためというより、あのとき本当は会いたかった大人になりきって、そのどこにもいなかった架空の人を、自分のために演じてみたいだけなのだろうと思う。(下巻 P.55)

性欲という暴力にさらされてきた10代の空子。その時に出会いたかった架空の人物を、大人になった空子自身で演じることで、過去の自分を癒そうとする。物語の中で、唯一空子が自ら動き出した場面であり、非常に印象的である。

やはり、女性同士の連帯こそが、ジェンダーギャップから生じる差別や消費を解消させる手段となるのだろうか。

結論、物語はその理想を全否定する。

ピョコルンの登場により、妊娠・出産をピョコルンに委託できるようなった社会は、異性同士の性愛による結婚はなくなり、友達同士の相性の良さを重視した「友愛」婚が主流となる。同時に、性欲の矛先がピョコルンに向かったため、人間間での性犯罪は激減し、犯罪率も減少した。

よって世界は平和になったのか?

読み手は気づく。性差が持つ苦難が解決し、心の穏やかな人(本書では「クリーンな人」と評している)が増えても、世界はどこか歪である と。

私たちは矛盾している。でも、矛盾していない私たちなんて存在しただろうか?下巻(P.27)

同性同士で手を組もうが、クリーンな人間が増えようが、世界の歪さは修正されない。なぜなら人間の本質は、矛盾し、不完全で、歪なものだからだ。

シスターフッドどころか、どんな方法でさえ、不完全な人間には理想郷を作ることはできないと、この物語は終始語り掛けてくる。

少女たちを守る理想の大人を演じる空子だったが、その姿は波たちに響くことはなかった。なぜならそれは自己満足のための「娯楽」にすぎないからだ。

「相手がどんな人物を求めているのか大体わかるので。誰でもそうだということは、『子どもの頃会いたかった大人』なんて本当はどこにもいないということなのでしょうね」下巻(P.303)

理想はあくまで理想で終わり、不完全な人間が作る現実のみが突きつけられる。

理想なき世界で私たちに残されたもの 「白藤」というキャラクター

不完全な人間には、理想郷など作れない。

この現実に対し、私たちに為すべきことは本当にないのか?不当な現実を受け入れ、順応し、抗うことなく生きていくしかないのか。

それは違う。私たちには「選択」が残されている。

時代に適応し、一般的な女性の生涯を送った空子に対し、白藤という女性が登場する。

彼女は、ピョコルンの登場による激動の時代に対し、「それでいいのか」と考え続け、疑問を投げ、抗い続けた人物だった。時代の変化を受け入れていく周囲からは「かわいそうな人」と揶揄され、孤立していた。

しかし、この小説の中で彼女は最後まで、自分で考え抜き、生き方を「選択」してきた人だった。

白藤の最期は、決して幸福なものではない。

それは、彼女の「選択」が間違え続けた結果とも捉えられるが、「選択」は世間一般の善悪で決めるものではない。99人の人間が同じ選択を選んでも、白藤はたった1人でも自分の「選択」を選び続けた。空子にも白藤にも「選択」する自由だけは、残されていたのだ。

本作はSF小説に位置づけられるだろうが、女性性の問題のみならず、差別やいじめ、ルッキズム問題や過労など、混迷極める社会の問題が強烈に描き出されている。

この社会で生きていく中で、私たちはどのような「選択」をして生きていくのか。小説とは、その社会をフィクションを通して理解し、自分がどの生き方を「選択」していくべきなのかを考えるための材料となる。

強烈な人間描写で、人間の本質を炙り出した本作も、その「選択」の一助となるだろう。

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