高校の時、情報の授業で「自分の関心があること」をPowerPointにまとめて発表する という授業があった。
私はそのお題に、フィンセント・ファン・ゴッホ作「星月夜」を選んだ。後年、ゴッホが精神病を患った際に描いたそれは、幻想的なタイトルとは裏腹、不気味な夜空とゆがんだ糸杉が印象的な作品である。

「星月夜」1889年 ニューヨーク近代美術館
その授業の最後、生徒の投票により優れたプレゼンテーションを決めるのだが、なんと私の「星月夜」が選ばれた。
もちろん、私のプレゼンテーションが素晴らしいとか、PowerPointの仕上がりを評価されたわけではない。日本人って、なんかゴッホが好きなのだ。
日本人 なんかゴッホ好き
現に、ゴッホの展覧会は数年おきに開催されている。
2025年現在も、神戸で大ゴッホ展 公式サイト、上野でゴッホ展 公式ウェブサイトと2か所で展覧会が開催中。どちらも大盛況。
でも、なぜ同じ時期に2か所で開催する??
神戸市立博物館「大ゴッホ展」はあの有名な「夜のカフェテラス」が来日している。一方、上野の東京都美術館は「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」…んん?なんか副題がついているぞ??
「家族がつないだ画家の夢」…?
この東京都美術館で開催している展覧会は、ゴッホの作品そのものというよりは、ファン・ゴッホ美術館に所蔵されているゴッホ自身の作品に加え、ゴッホが生前収集していたもの、家族と交わした手紙、ゴッホと同時代に生きたほかの画家作品も展示されるということだ。
う~ん、ゴッホは好きだけど、手紙や他の画家の作品とかは興味ないかな…ていうか、せっかくなら有名な「夜のカフェテラス」を神戸市立博物館で観た方がよくない?
と、思う人も多いかもしれない。
ていうか、私がそうだった。
しかし、高校生でゴッホのプレゼンしちゃうほどゴッホが好きだった私は、「ゴッホ 家族がつないだ画家の夢」にも足を運び、結果「今のゴッホは、彼の家族が頑張ってゴッホを推し続けたこそなんだ…!」と、数々の新発見と感動がありました。
今回は「ゴッホ 家族がつないだ画家の夢」について、まとめていきます。
ダメダメすぎるゴッホの人生
私がゴッホの親だったら間違いなく子育てに悩む。
ゴッホは、小さいころから癇癪もち。画商・伝道師と職を変えるも、長続きせず、心配して実家に呼び戻せば、家族と喧嘩して、家を出てしまう。女性とのトラブルを繰り返し、画家を志すもそれだけでは食ってはいけず、弟から援助を受けてかろうじて食いつないでいる状況。
この息子に頭を悩ませたまま、父テオドロスは、ゴッホが32歳の時に死去。苦労や悩みが多い一方、手のかかる子ほどかわいかったのだろう。死の間際まで問題の多いゴッホを心から心配していたことは、彼の書簡からも伺える。愛情の深い人だったのだろう。
父親の死後、画業の道を突き進むゴッホは、気候の穏やかな南仏アルルに希望を見出す。この地で画家組合を結成し、お互いに研鑚しあうことで画家としての地位向上を目指した。当時友人で会ったゴーギャンを招き、アルルにて共同生活を始めるも、互いに激しい個性をもつゴッホとゴーギャンの生活はうまくいかず、ゴーギャンが退去。望みを挫かれたゴッホは精神的に追いつめられ、ピストル自殺を謀る。37歳。短い生涯であった。
兄を支え続けた弟テオ
ゴッホの画家としての人生は27歳から37歳の間と非常に短いが、おびただしい数の作品を残している。その創作活動を支えたのが、弟のテオだ。
テオは、16歳で兄と同じ画商グーピル商会に就職。数年で解雇された兄とは違い、仕事に誠心誠意取組み、若くして同商会の支店長(モンマルトル大通店 28歳)になる。躍進した彼は、同時期に画家の道を進み始めた兄ゴッホを支援するようになる。
①ゴッホへの金銭的援助
②版画や絵画を安価で仕入れ、ゴッホへプレゼント
③画家仲間への紹介・交流の仲介役
金銭的援助はさることながら、ゴッホにとって一番の支援となったのは、テオが美術作品を収集し、その多くをゴッホをともに共有・もしくは贈与したことだ。その作品の中には、当時話題となっていた印象派たちの作品のみならず、素描・新聞の版画・浮世絵も含まれていた。そして、これらの作品はゴッホの作風に大きな影響を与えている。
展覧会では、テオやゴッホが収集していたこれら版画や浮世絵もあわせて展示されている。
ゴッホ自身の作品だけではなく、彼に影響を与えた作品を一緒に鑑賞することで、作品への理解を一層高めることができる。
最強のマーケター ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲル
生前ゴッホを支援し続けたテオは、ゴッホが亡くなった翌年、後を追うように死去。そしてテオの志を受け継ぐように出てきたのが、テオの妻ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルだ。
生前の夫の献身ぶりをみていたヨーは、その姿勢を引き継ぎ、ゴッホの作品を管理し、画家としての地位向上のため、尽力する。
①数多くあるゴッホの作品をリスト化・管理
②力のある画商への作品の売り込み
③売買契約の記録
④ゴッホやテオによる収集作品や書簡の保管
生涯、画家として名を成すことがなかったゴッホだが、実は晩年に差し掛かると少しずつその実力が画家仲間の間で認められるようになっていた。テオの死後、寡婦となったヨーは、小さい一人息子を連れ、下宿屋を営みながらも、ゴッホの作品を眼力ある画商へ売却。しかも、出品数を制限し、作品が世に出回ることによる価値の低下を制限、市場をコントロールした。
また、特筆すべきは③売買契約の記録だ。
ヨ―は、ゴッホの作品を売却した際、その相手と値段、日付を詳細に帳簿へ記載していった。この記録により、ゴッホの作品が散逸・紛失することなく、現在も多くの作品を残すことができたのだ。
その後再婚するも、ゴッホ作品の管理とともに、社会活動・女性解放運動などにも従事。62歳で生涯を閉じる。
テオの死後、彼の遺体は最愛の兄ゴッホの隣へ埋葬される。これは、ヨーの指示。
これだけ兄弟に尽くしたヨーだったが、死後は再婚相手のヨハンとともに埋葬されている。
巨匠は一人では生まれない
フィンセント・ファン・ゴッホといえば、現代ではその名を知らぬものはいない。
しかし、その功績は決して彼一人で築き上げたものではなかった。
彼を愛し、支持した家族が、現代まで繋いできたのだ。
2025年現在、神戸で開催されている大ゴッホ展が、全国を巡回し、2026年東京にやってくる。作品のみならず、画家自身やその時代背景を知ることは、作品理解への大きな足掛かりとなる。
上野東京都美術館で開催されている「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」を鑑賞し、彼を支えたいくつもの作品と家族の展示を学ぶことで、来年の大ゴッホ展にぜひ備えていただきたい。

美術展に行く前に、そこに展示されている作品や画家に関する書籍を読むことにしています。画家やその生きた時代を知ることは、作品への理解を深めることに繋がるので、おすすめです。
ゴッホの耳切事件の謎に迫る本作。切断した耳を贈られた「ラシェル」という女性は何者なのか?なぜゴッホは彼女に自身の耳をプレゼントしたのか?耳切事件を中心に、当時のアルルの時代背景や社会状況まで克明に調べ上げている。
ゴッホが食べていたであろうレシピから画家を紐解く本作。
作品や彼が住んでいた場所の写真を多く掲載。



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